2人ぼっちのKinKi Kids

嵐が五個一だとすると

KinKi Kids正真正銘の「ふたりぼっち」だ。

 

 

 

中合わせであり「お前」と「俺」だけで完結してしまうシンメトリーの関係。

2人はよく自分たちの関係性について「守護霊で会話してるんで」「掛け声が絶対にずれない」「顔見ただけで機嫌とか調子はすぐわかる」と話し、終いには「隣にいないと息をするのがしんどい」という発言が雑誌に載るところまでいく。自分たちでよく「夫婦みたいなもんです」と総括する。

 

が、決して「仲が良い」ということをKinKi Kidsの一つのファクターにしないように思う。彼らをあまり知らない私の友人はあまり笑わず公の場で絡むことのない2人を「確実に仲が悪いと思っていた」と言うし、私自身興味を持つ前はお互いに興味がなさそうな2人だなと思っていた。

 

いい意味でも悪い意味でも、デビュー前からずっと注目されてきた2人。一週間毎日レギュラーを持っていた当時20歳行くか行かないかの時期、彼らはその時のことを、「ほとんど記憶がない」と語る。睡眠時間は3時間あったらいい方という過酷なスケジュールの中で、ジャニーズ初の関西出身、そしてデュオとして推され続けることの大変さ。先輩をバックに付ける時もあった。色々な人が彼らを憎んだだろう。恨んだだろう。彼らがそれを知る機会も少なくなかっただろう。

 

でも、ただ、必死だったのだ。

多感な時期、人格が形成される前にも関わらず大人と子供の曖昧な境目で揺れながら、芸能界の仕組みを身を以て学びながら、自分たちを利用しているだけの黒い大人を目の当たりにしながら。2人は、2人だけで時にその状況に時に苦しみ、立ち向かい、向け止めた。それが唯一の手段なのだ。2人の少年は「2人でいる」事だけを与えられ、芸能界という波に飲み込まれないように必死で、自分削りながら笑っていた。 

 

 

 

 

12歳で出会った時から今までの長い時間 彼らは決して相手を否定することなく、馴れ合うこともなく、プロのアイドルとしてプライドを持って音楽に向き合った。ソロをやるにあたっても「相手が入ってこれないクオリティーをやることがソロをやる意味」だと話す。相手の世界には決して干渉しない。「興味がない」ということを曲解しようと思えばいくらでもできるし、私自身の解釈もただの個人的見解にすぎないけれど。 彼らの今の功績を作り上げた主体は彼らなのだ。彼らが選んだお互いを尊重するための姿勢を簡単に分節してはいけないと思う。

 

色々考えながら書いてしまったが、結論、2人が向き合ったら向き合わなかったりしながら楽しそうに音楽に浸る姿や笑う姿を見ているときのなんとも言えない感覚的な幸福が全ての結果なのかもしれない。

 

 

2人を信じたいと思う。いつも正直で、最高の作品を持って私たちの声援に応えてくれる彼らを。「ファンを一番に考える」姿勢を何があっても崩さない彼らを。「アイドルらしさ」を否定しながらその真髄を見せてくれる彼らを。美しさと神秘を見せてくれる彼らを。

 

そして、KinKi Kidsのこれからを。